「ベケットと「まちがい」の美学」 第1部講義メモ
00:02:45 第1部開始
個人的には、現在の戦争やコロナ禍のような不条理のなかでいかに生きるのか、ということが裏テーマだと思うので、ベケットがいかに作品を作ってきたかを通してその話もうかがえれば(青山)
00:05:41 岡室先生から自己紹介
00:08:51 kappa「岡室さんの服の文字が気になる。ベケットの引用なのだろうけど」 専門分野①:サミュエル・ベケット研究
これが私にとってのメインの仕事(岡室)
翻訳
この本は表紙の写真がかっこいいですね(青山)
これはベケットがめちゃくちゃかっこよくて私も気に入っているんですが…訳者名がめちゃくちゃ小さいんですよね(岡室)
自分で言うのもなんですがすごい読みやすい訳。安藤先生や高橋先生の訳もすばらしいが、抽象的で高尚、格調が高い。それだとベケットが持っている具体的な身体性が伝わらないので、私のは格調を低くした(岡室)
いまの学生でもぱっと読んですぐに意味が通りますね(青山)
専門分野②:現代演劇研究
研究分野③:テレビドラマ研究・批評
岡室先生は昔からテレビが好きだったんですか?(青山)
子供の頃コミュ障だった。だからテレビがお友達だった(岡室)
テレビドラマはあまり研究対象になっていないと聞いたのですが(青山)
テレビドラマ研究は社会学の方が現象として捉えるものが多かった。私はもともと演劇研究者なので、作品分析をする。批評と言うよりは、ひとつの作品を豊かに読み解くことをやりたい(岡室)
岡室先生はもともと別役実さんに関心を持たれていたとのことですけど、たとえば別役実『ベケットと「いじめ」』なんかは岡室さんからすると批評的な読みということになるんでしょうか?(青山) 別役実さんは私にとってとても大事な作家。ベケット研究に入ったのも別役さんがいたから(岡室)
高校のころ「言葉への戦術」(最近復刊された: 別役実『増補版 言葉への戦術』)を最初に読んだ。この本は素晴らしくて、私の半分くらいは「言葉への戦術」でできている(岡室) 「言葉への戦術」のかなりの部分がベケットについて。別役さんは70年代に非常に正しくベケットを理解した人の一人だと思う。ベケットは構造として読まないといけないと教えてもらった(岡室)
「構造」というのがキーワードだと思うんですが、演劇だと戯曲があり、役者がいて、照明の演出もあるというような意味でしょうか?(青山)
たとえば近代劇(近代自然主義演劇)だと、起承転結のようにリニアな構成になっているのに対して、アラバールの「戦場のピクニック」という作品であれば「戦場」というフォルムに「ピクニック」というフォルムがやってくる。リニアな構造ではなく面と面が出会うような構造なのだというのが、別役さんの言う構造(岡室)
00:20:01 hrchdsk「アラバール「戦場とピクニック」は傑作」 戦場という非日常にピクニックという日常をもってくるということですね(青山)
今日紹介する「ゴドーを待ちながら」も、神(ゴドー)を待つという非日常的なことの間にずっと日常的なことをする。日常と非日常が拮抗する磁場のようなものが不条理劇にはある(岡室)
でも今日はあまり構造の話はしないです(岡室)
専門分野番外編:オカルト芸術論 闇の文化史
私が大学でやっている授業(岡室)
ダブリンで博士号を取ったときのテーマが「ベケットとイェイツとジョイスをオカルティズムで結ぶ」というものだった
こういう研究をしていると周りから怪しまれたりするんでしょうか?(青山)
ただやっぱりキリスト教圏でこういう論文を投稿していくというのは大変
ベケットに影響を与えた人の多くがオカルティスト。なのにそれはアンタッチャブルで誰もやっていなかった
イェイツ、ジョイス、ベケットはアイルランドの出身なので、ケルト文化とオカルティズムのつながりもあるのでしょうか?(青山)
当時オカルトリバイバルがあり、お金持ちの家で降霊術が行われているような時代だったということもある(岡室)
専門分野すべてを通して根底にあるもの:作品分析
00:28:39 Samuel Beckett (1906 - 1989)
ベケットと失敗①
いつも試した。いつも失敗した。だからなんだ。また試せ。また失敗しろ。もっとよく失敗しろ。
(『いざ最悪の方へ』)
だれにでも刺さる言葉。だれでも失敗するから(岡室)
この日のために買いました!(岡室先生のパーカーに引用が)
NHKドラマ「 グレースの軌跡」(脚本・演出:源孝志)にも引用されていた ベケットの言葉はいったりきたりするところがありますね(青山)
たたみかけますね(岡室)
大学生のときに読んだ漫画で「今日の失敗は明日の惨敗の母」という言葉が出てきて感動したことがある。成功を目指さない(岡室)
ベケットと失敗②
芸術家であることは、他の誰もあえてるする勇気がなかったような仕方で失敗することだ。
(「三つの対話ーーサミュエル・ベケットとジョルジュ・デュテュイ――」)
去年出た『ベケットのことば』の中で宮脇永吏さんが「『失敗』の美学ーーベケットとデュテュイ」という論文を書いている 画家ブラム・ヴァン・ヴェルデの絵画を巡る激論
ベケット『モロイ』
オデュッセウスのように戦って勝利することを目指さない
『ベケットのことば』の中には私の論文「霊媒化する身体ーー映画『ドライブ・マイ・カー』と『オハイオ即興曲』における言葉の起源をめぐって」も収録されています(岡室) これめちゃめちゃおもしろいです(青山)
濱口監督の演劇論にある劇作家の言葉に取り付かれた役者=霊媒というあり方がベケットやイェイツに通じているのではないかと論じている(岡室)
「ドライブ・マイ・カー」の中でも「ゴドーを待ちながら」が上演される
00:42:59 ベケットと失敗
ベケットにとって、「書く」とは失敗すること
ここでベケットは書くことも芸術家のように「失敗」することなのだと意味づけているのでしょうか?(青山)
ベケットにとっては言葉を使うこと自体が失敗(岡室)
「渡る世間は鬼ばかり」を見ていると、ものすごいセリフの量だけど、これだけしゃべっても伝わらないと言っているように聞こえる
言葉は無力だとして、作家は何ができるか
ベケットは逆説の論理をすごく意識していますよね(青山)
別役実も「世界にとって誠実であるためには沈黙するしかない、ということを前提に職業作家はいかに言葉を紡ぎ続けるか」というようなことを言っている
00:46:37 mitsunori「書くとは失敗。 言葉を使うことは失敗。 でも言葉を使う。うんうん。」 ベケットはなにもかも成功したかに見える(裕福・眉目秀麗・頭脳明晰・スポーツ万能・ノーベル賞)
なぜ失敗しようとするのか?
00:48:47 ベケット基礎知識
アイルランド、ダブリン出身
1935年、ロンドンのタヴィストック・クリニックでヴィヨンの精神分析を受けていたところでユングに出会う ベケットは母親とこじれていたとのことですが、その母親との確執は作風に影響していたのでしょうか(青山)
それは絶対ありますね(岡室)
『足音』にメイという名の人物が出てくるが、メイは母親の名前
人口の9割以上がカトリックの国でプロテスタントとして生きることの困難
エリートなのにマイノリティという矛盾
第二次大戦中、パリで対ナチスのレジスタンスに参加
終戦間際、「廃墟の都」と呼ばれていたノルマンディー サン・ローの赤十字病院で働く
終戦後『ゴドーを待ちながら』を執筆
「プロテスタント・マジック」
プロテスタントが自身の優位性が揺らいだときにゴシック小説を書いた
00:59:11 『ゴドーを待ちながら』と失敗
執筆:1948〜49
出版:1952
初演:1953
安藤先生は初演のパンフレットを「あげるよ」と言っていた。世界で持っている人を見たことがない(岡室)
上演の途中で帰る人がけっこういたという
安藤先生はこれは新しいと思い、帰国後すぐに翻訳したので日本は翻訳が早かった
文学座での日本初演も安藤先生
概要:ほとんどなにも起こらない
失敗し続ける情けない人たちの演劇
<失敗>する/させられる俳優たち
セリフが覚えにくい
わざと覚えにくくしている
舞台で役者がセリフを失敗すると得した気分になるのは私だけでしょうか(岡室)
余談①:『プレイ』の演出(真ん中の役者をいじめる芝居)
余談②:『わたしじゃないし』(口だけ出して大量の独り言のようなセリフを言う)
ダブリンで「観客一人公演」というのを見たことがある(岡室)
劇場の<非日常>が破綻して<日常>が顔をのぞかせるときが、もっとも演劇的であるという逆説
→『ゴドー』が演劇についての演劇(メタシアター)である
→(近代的な意味での)演劇の失敗
ベケットは近代的な演劇を一つも書いてない?(青山)
起承転結がある作品は一つも書いてない(岡室)
楽屋オチ
虚構の世界を信じきれなくて、常に現実が介入してくる
→演劇とは常に現実(劇場で上演されていること)に接続されるものであるという思想
01:16:20 なぜ『ゴドー』は書かれたのか?
戦時中の経験(ノルマンディーの病院に勤務)
『エンドゲーム』に両足がない両親が出てくるが、地雷による被害の描写では(岡室)
ベケットの不条理体験
その後『ゴドー』を執筆
ベケットのルポルタージュ「廃墟の都」
01:19:20 不条理とは?(岡室説)
原因と結果がつながららないこと
世界が壊れているという感覚
不条理劇と悲劇の関係は?(青山)
悲劇は神との関係が大きい(岡室)
神がいない時代に、悲劇が不条理劇に置き換わった
演劇は本来神に捧げるもの。神への祈りという垂直軸がなくなったときに、生み出されたのが「ゴドー」だったのでは(岡室)
01:25:12 kinako_「さっきのオカルトの話とどう関係あるんかなー」 アリストテレスの詩学を読むと、喜劇より悲劇を重視している。ギリシア哲学を受け継いで超越性を見出しているのだと思うが、対してベケットの不条理劇はボケとツッコミで喜劇のようでもあり、振り幅がある。そこが注目されたのでは(青山) 演劇史的には、アリストテレスの詩学はフランス古典主義で拡大解釈されて「三一致の法則(作劇上時間・場所・行動が一致するべき)」を生み出したりしたように、合理的な思想。ベケットは演劇はそういうものじゃないと言っている(岡室)
01:28:14 manab0rg「20世紀とほぼ同じ時期に生涯を過ごし、ありとあらゆる災厄を経験して、ベケット自身は「救い」を求めていたのでしょうかね。」 01:28:32 質疑応答1
質問者A:文学作品・演劇作品には二人の対立が出てくるものが多くあり、普遍性を持っているのかと思う。先程の軸の話とも関連すると思うがどうか。
作品における二人の関係についてはいろいろ言われることがあるが…なんででしょうね?(岡室)
二人は関係を描く最小単位なので、やはり関係を描きたかったんだろうと思う。『ゴドー』は何も起こらない演劇なのだが、それでも二人の関係は変容していく
ベケットは『ゴドー』は共生の芝居だと言っている。他者と生きる、チームではなく最小単位での共生が重要だと考えていた
質問者B:60年代ごろイヨネスコ、ハントケ、ファスビンダーのようなベケットの影響を受けたと思われる劇作家が出てきたが、彼らをベケットはどう見ていたか。
イヨネスコは影響下というよりはベケットより少し早い(岡室)
面白いことに、多くはフランスで活躍するがフランス人ではない。文化の中心であるパリに周縁からやってきて不条理劇を書いた作家が多くいた事は興味深い。周縁の人々のほうが世界が壊れているという感覚に鋭敏なのでは
ハロルド・ピンターはベケットの影響を受けて作品を書き始めた人なので評価していたようだ
質問者C:書くこと自体が失敗だというのはすごくいいと思ったが、ベケットが成功についてはなにか言っているのか。
成功について書いたことはなかったと思う。たぶん興味がなかった(岡室)
ベケットは役者に「まちがえろ!」と思って戯曲を書いていたと思う。『プレイ』なんかだと稽古場にメトロノームを持ち込んでリズムを守らせた
でも役者はベケットの演劇を「楽しい」と思うらしい。くせになるらしい
質問者D:『プレイ』がまちがいを誘発する芝居になっているのとことだが、作品としては破綻せず回収されるようになっているのか。役者を選ぶ作品になっているようにも思える。
ベケットはすごく厳密。ト書きに「ここで◯秒」「ここで◯歩」のように指定しており、改変も許さない
神のようにすべてを支配したいかのような戯曲を書く一方で、間違わせようとしているというのはすごい面白いと思う。どこか決定不能性をはらませていく(岡室)
役者について言うと、たしかにベケットは難しい。とくに『ゴドー』は日本でも名優と言われる人がやってきている
うまくない人たちがやると、地獄のように退屈だったりする…
網走刑務所での緒形拳主演の『ゴドー』の上演があり見に行ったが、収監者にものすごくうけていた。「待つ」ということが観客にとってものすごくリアルだったんだろうと思う(岡室)